1976年五輪モントリオール大会の大赤字のツケは住民が払った。東京はどうなる?…という話

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こんばんは
管理人の彰篠宮です。

今回は、1976年五輪モントリオール大会で発生した空前絶後の大赤字についてあれこれ書きたいと思います。50年前に大嘘を吐いて五輪を招致し、私欲の為に暴走した政治家が居ました。

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五輪が国家の財政危機を招く可能性を示したモントリオール大会

モントリオール大会の収支は、公式戦報告書に示された概算によれば、9億9000万ドルの赤字でした。

  • 収入: 4億3,000万ドル
  • 支出: 14億2,000万ドル
  • 収支:▲9億9,000万ドル

これは1976年の平均的な円ドルレート293円/$で換算すると、約2,900億円です。カナダの消費者物価指数の推移を見ると、2002年を100とした場合1976年は32.39そして2021年は139.28です。すなわち1976年から2021年の間に消費者物価指数を4.3倍になっています。その指数を1976年に発生した2,900億円の赤字に当てはめると2021年では約1兆2,470億円です。

この赤字のうち、2億ドルはモントリオール市の負担になり、不動産税の増税によってこれが賄われました。残りの7億9,000万ドルは、カナダ連邦政府による宝くじと、モントリオール市のあるケベック州のたばこ税増税によって賄われました。特にケベック州の増税期間は当初は西暦2000年までが予定されていましたが、返済は結局30年にわたって続き、赤字を完済したのは2006年11月のことでした。そこには、禁煙文化の広がりでタバコの売り上げが落ちたことにより税収が減少した背景があります。

このようにオリンピックで発生した赤字については何らかの手段で住民がその負担を強いられると言う事例が45年前1976年に明らかになっていました。

ではなぜ、このような巨額の赤字が生まれたのか?その財政赤字の内幕を覗いてみることにしましょう。

モントリオール大会も、誘致の段階で大きな嘘をついていた。

大雑把に申せば、イベントが赤字になるのには大きく2つの理由しかありません。それは

  • 収入が少なすぎたか
  • 支出が多すぎたか

そのどちらかでしかありません。モントリオール大会の場合は後者で、赤字の原因は支出が多すぎたことにあります。

上記しました様に、モントリオール大会の場合、大会の会場建設&運営費は合計で14億2,000万ドルでした。それに対して収入は4億3000万ドルしかありませんでした。この支出が大きく伸びた原因は、 会場建設費が大幅に当初の予算を超えた事にあります。

その会場建設費の巨費化を象徴的に表すのは、メインスタジアムとオリンピックパーク(屋内競技場含)、および選手村の建設でした。オリンピックパークの建設だけで9億8,700万ドルを要しています。

なぜ、これほど費用がかかったのか?それには理由がいろいろありましたが、根本的には大会招致の主役だったモントリオールのジャン・ドラボー市長の姿勢にありました。ドラボー市長は、招致運動の段階では

「モントリオールは質素なオリンピックを目指す。」

と語っていました。更には、

「税金を投入しなくても、大会開催による収入で資金を調達できる。」

とも語っていました。そのようなプレゼンテーションを行って開催地に選ばれたにもかかわらず、その後市長が実際に行った事は、プレゼンテーションとは似てもにつかないことでした。メインスタジアムは、過去に例がないほど豪華な巨大建造物になり、市長の取り組みにはどう見てもコスト意識と言うものが欠けていたのです。

オリンピック終了後、ケベック州政府は第三者委員会を設置し、モントリオール大会の財政につき検証を行っています。その結果、ドラボー市長からメインスタジアムの設計を依頼されたフランス人の建築家は、建築予算について全く制限を受けていなかったことが判明しました。予算制限なしで設計されたのは、開閉式屋根を備える屋外スタジアムでした。

しかし、この開閉式の屋根は結局完成しませんでした。なぜならば、工事が遅れて、大会に間に合わなかったのです。そして、この工事の遅れは、建設コストを押し上げる2つ目の理由となりました。工事が遅れた原因は、労働者のストライキとモントリオールの寒さとでした。発生した遅れを取り戻すため、本来なら1台のクレーンを少しずつ移動させて順次行っていく作業に、多数のクレーンを投入せざるをえなくなり、作業自体が高コストの体制になっていってしまったのです。また、現場労働者の報酬もかなり高額でした。ケベック州政府のオリンピックパーク建設責任者が語っていたところによると、平均の週給で約500ドル、月間に換算すると2,143ドルですから、当時のレートでは約月給63万円です。

また、選手村は、ドラボー市長が南フランスで見てきたと言う、ピラミッドのような形の建物をモデルにして設計されました。地上21階建ての建物は全部で4棟作られました。その設計は、大勢のアスリートを効率よく宿泊利用するのに適したものとは言えませんでしたが、建設費用に合計で8,500万ドルも掛かりました。選手村に関する当初の予算は900万ドルだったので約9.4倍に膨れ上がってしまったと言うことです。

責任者の暴走が大赤字を生んだ。

モントリオール大会の運営経費の肥大化に、環境要因ともいえる点もありました。特に大きなものは以下の2点です。

  • 1973年オイルショックに伴う物価高騰
  • 1972年五輪ミュンヘン大会でのテロ事件の影響に

先ず、前者ですが、1970年にオリンピックの招致が決まってから3年後の1973年、オイルショックの影響で世界的なインフレが発生しました。カナダにおいても物価の高騰が起こり、消費者物価指数で見ると、1976年の消費者物価は、招致が決まった1970年の1.53倍になっています。日本でもトイレットペーパーが店頭から消えたり、狂乱物価と呼ばれる物価高騰がありました。

さらに、1972年ミュンヘン大会においてイスラエルの選手と役員合計11名が犠牲となるパレスチナゲリラが引き起こしたテロ事件に起因する影響もあります。このテロ事件を受けて、モントリオール大会では選手村の警備を格段に厳重にしなければなりませんでした。入り口の危険物探知機、宿舎の各所に設置する監視カメラなどの、過去の大会にはなかった設備コストが発生してしまいました。

そういった事情を勘案しても、モントリオール大会の運営が、それまでの大会と比較して高コスト体質であった事は間違いありません。

また大会の組織委員長に就いたのはカナダ外務省出身のロジェ・ルッソーの仕事振りも、文字通り官僚的なもので、とても効率的な大会準備・運営が出来ていなかったそうです。IOCのキラニン会長から重要な連絡会う時に休暇をとって釣りに行ってしまったり、重要な会合よりパーティーへの参加を優先したりして、関係者をやきもきさせました。

なぜ招致活動の段階では「質素な大会にする」と言っていたのが、実際には、コスト意識に欠如した豪華&巨大建造物の大会になってしまったのか?それは結局のところドラボー市長が、自分の任期中に歴史的な建造物を残したいと望んだと言う以外に説明のつく理由は見当たりません。ドラボー市長は1954年に38歳の若さで市長に当選、1967年には万国博覧会を招致するなど、ビッグイベントの招致に熱心な政治家であったことは間違いありません。 1974年に5期目の当選を果たし、実に20年以上の長きにわたってモントリオールの市長の座にあったのです。彼は、万国博覧会は成功させたかもしれませんが、巨大化しつつあったオリンピックは、全く違う種類のイベントでした。

ケベック州政府によるモントリオール大会の財政調査委員会は、報告書の中で次のように断じています。

「彼は自分の果たすべき役割に必要な才能、知識に全く欠けていた。」

つまり、モントリオール大会の赤字は人間系の要因が大きく、決して回避できないものではなかったのです。

モントリオール大会の収入について。

一方、モントリオール大会の収入は、決して少なくありませんでした。

  • オリンピック宝くじ:2億3,500万ドル
  • オリンピック記念硬貨と記念切手の収入:1億1,500万ドル
  • テレビ放映権料:3,200万ドル
  • 入場料収入:2、700万ドル

ちなみに、TV放映権料については、IOCが公式ホームページでアップをしている数字では3,490万ドルです。これらのオリンピック開催によって生まれた収入は4億3,000万ドルで1972年のミュンヘン大会であれば通常の税金投入を含めると十分に採算の取れる収入でした。

ふと我が国に

今回の記事を書いてきて、50年前に他国で起こった五輪関係者の暴走によって、税金が無駄遣いされまくった挙げ句、住民がそのツケを払わされたという出来事が、今、日本でもまさに進行していることが痛感されました。

東京大会も、招致の段階では「コンパクトな大会」と標榜して予算も7,320億円と発表しておきながら、現実には大会運営の経費見込みが予算の400%を超え、現時点で既に3兆5,000億円にも達しています。そのうち2兆8,000億円は国民の税金ですよ!

この経費無駄遣いは様々な場面で行われています。会場の現場監督の日給が30万円で手配されているという問題、理事の男女比を調整するといって女性理事を増やしたり一事が万事やりたい放題です。

振り返ってみると、新国立競技場の建設費が当初見込みの1,300億円から、2倍近い2,520億円に膨れ上がった後に、その見直しが決まった時のことが思い出されます。前組織委員会会長の森喜朗氏が

「国がたった2,500億円も出せなかったのかね」

と言ったことが腹立たしく思い出されます。トップが此の様な考えの持ち主で、国民から吸い上げた税金を使い放題で甘い汁をすすることしか考えない輩ばかりの集団が効率的な大会運営を果たして出来るでしょうか?事務総長の武藤敏郎氏にしても、モントリオール大会の組織委員長を思わせる大蔵官僚らしい仕事ぶりです。

五輪開催経費の赤字は税金で補填されますが、そのツケは誰が払うのか?

おそらくは、国民&都民が払うことになるでしょう。五輪を開催すれば、海外からの観光客によるインバウンド効果が…というお題目も今は有りません。

このような一文の得にもならない五輪は、一日も早く「損切」し、コロナ禍により追い詰められている多くの方々の救済に予算を振り向けるのが良いと思います。

 

如何でしたか?

今回は、1976年五輪モントリオール大会で発生した空前絶後の大赤字について「1976年五輪モントリオール大会の大赤字のツケは住民が払った。東京はどうなる?…という話」と題して記事を書きました。

大会運営費が赤字となるのを用意周到に避け、しかも市民の賛同を取り付けることに成功したロスアンゼルス五輪は、商業主義五輪として大成功を収めました。しかしながら、今回の東京五輪はどうでしょうか?赤字を垂れ流し、国民の過半数以上が中止を求めています。これ以上続ける意味すら無いと思います。

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