「内訟録―細川護熙総理大臣日記」枝野幸男に覚悟や気概はあるのか…と言う話

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こんばんは

管理人の彰篠宮です。

古書店で面白そうな書籍を見つけたので即座に購入し、一気に読んでしまいました。

 

1.「内訟録―細川護熙総理大臣日記」

 

著者の細川護熙氏は、1993年8月9日〜1994年4月28日の期間に第79代内閣総理大臣として細川内閣を舵取りした方でした。その政権基盤は 非自民・非共産8党派で、いわゆる連立政権でした。

 

本書はその細川氏が小沢一郎氏に担がれ、腹を括って首相となった際の日記形式の回顧録で、随所に証言や新聞記事なども織り込まれとてもとても読みやすい書籍です。

寄り合い世帯の政権をまとめる際の思いは、自分自身が生きていく上でも参考になることがいろいろとあります。

以下にそんな記述のいくつかをご紹介しましょう。

21頁:8月5日

「運命の中に偶然はない。人間はある運命に出会う以前に自らがそれを作っているのだ。

ーT・W・ウィルソン(アメリカ合衆国第28代大統領)

 

22-3頁:8月6日

夜 首班指名

一つの時代が終わって

明確に一つの時代が始まった

(中略)

歴史ののものを今強く感じている

身を縮めて天命に従うという

厳粛な気持ちです。

(首班指名後、記者団の質問に答えて)

人事を尽くして天命を俟たず、天命に安んじて人事を尽くすのみ。

 

525頁

「リーダーにはこの国をどうしていくかという旗印が必要だけど、まず第一には覚悟でしょうね。リーダーは『何をやれるか』ではなく『何をやるか』を考えなければだめだ。ふたつめは人材集めでしょうね。」

 

526頁

「登用する人材は専門家である必要は全くない。つまるところは肚が座っているかどうかだけなんですよ。やることは断固としてやるという私心のない人が5、6人いたら、大抵のことはできる。」

 

細川氏が首相だった時期からすでに30年近くが経過し、本書に登場する方々の中にも他界された方がちらほら見えるのも時代を感じさせますねぇ。

 

2.今、新たなリーダーを待ち望む

 

この政権交代が実現した頃の自民党はといえば、宮沢内閣でしたが、今も変わらぬ金権腐敗政治でグダグダの状態だった事が思い出されます。

今、野党に目を転じますと、先般「国民民主党」「社会保障を立て直す国民会議」「無所属フォーラム」との合流により勢力を拡大した「立憲民主党」が目立ちます。党首は枝野幸男氏。

この枝野氏は、本書著者の細川氏と全く縁がないわけではありません。

枝野氏がそれまでの弁護士から政界に進出したのは1993年6月。それに遡ること半年余り。1992年11月に細川氏が党首であった日本新党が候補者公募を行ったのです。約150人の応募者のなかから書類(論文も)選考を経て枝野氏は日本新党の公認候補となり、最初の衆議院総選挙で初当選したのでした。いわば、細川チルドレンだったんですねぇ。

細川氏の日本新党の結党宣言にある次の言葉に、その当時、枝野氏は心を動かされ、候補者公募に応じたそうです。

「荒海に漕ぎ出していく小船の舳先に立ち上がり、難破することも恐れずに、今や失われかけている理想主義の旗を掲げて、私は敢えて確たる見通しも持ちえないままに船出したいと思う。歴史を振り返ってみれば、理想のための船出というものは、いつもそういうものだった。」

 

その枝野氏、旧民主党から分離し立憲民主党を立ち上げたころは強い志を感じさせましたが、今は少し隘路(あいろ)に入り込んでいる様な印象です。今ある野党すらまとめ切れない彼に、細川氏の様な覚悟や気概はあるのか?小生には判りません。

枝野氏には、日本新党の結党宣言の言葉に打ち震えた若かりし自分を思い出し、本書から次に引用する言葉にある覚悟をもった肚の据わったリーダーとして更に一皮剥けて欲しいと思います。細川氏が首相になられた時と同じく小沢一郎氏の豪腕の力が必要ではないかなぁ。

25頁

無責任な連中は、ああでもない、こうでもないと事あるごとにいつもいろいろ言うものだが、日本の政治はダメだなどと百万遍唱えてみても、世の中は1ミリも動きはせぬ。賢こぶった言葉やイデオロギーなどというものはとるに足らぬものなり。乾坤唯一人、

あるものはただ自らの覚悟のみ。

 

イデオロギーなんてものはない。あるのはその人の覚悟だけだ。

ー小林秀雄

 

余談ですがね…

枝野氏でなくとも、良いのです。例えば自民党の石破茂氏が党を割って出て、コロナ国難突破の為の新政党として現在の野党と組んでくれても良いと思います。

 

今回の記事はここまでです。

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