城北の雑記林 by 彰篠宮

父の遺影に謝る…という話

机の上にあるAppleのCinema Displayの右側に置いてある写真、15年程前に他界した父の遺影です。

商社を退職した後、その営業の腕を見込まれてゲーム会社の海外営業になって65歳まで、そこも年齢制限になって退社しようとしたら、ゲーム会社の取引先だった電子部品の商社に引っ張られ、アジア地区の海外営業として70歳を過ぎても喜々として働いていた父なんです。

 

「与えられたミッションをクリアし、更に想定外の実績を上積みするような仕事をする」

 

と最後に勤めていた会社の社長さんから聞かされた時は、父ながらスゲェ人だな、と思ったものでした。遺影の父は、病気の影響もあり痩せてはいますが、眼鏡の奥に見える目には意志・責任・愛情といった強い物を感じます。

 

父に関連することを書こうと思ったのは、過日、SNSでオーディオ関連のblogに対するコメントをしているうちに、父の事を思い出してしまったからなのです。

 

父がある時、小生に

「ステレオ装置を一式揃えてくれないか。そんな大げさなものでない方が良い。」

と依頼してきました。小生が大学生の頃だったので1980年頃だったかと思います。

で、色々調べて、小生が選んだのがドイツのUHERという会社の

というセットにスピーカとレコードプレーヤーを追加したものだったのですよ。しかしながら、母に相談したところ予算の問題もあり、却下。それでも、安易にシスコン(システムコンポーネントの略)で済ませることなく、何とか予算の範囲内で製品を揃えました。

それまで、ラジカセで音楽を聴いていた父は

「えぇ音やぁ!」

と喜んでくれました。

 

父からは、あまり音質的な要求は無かったので、その後も不満もなく、オープンリールデッキを買い足して大好きなモーツァルトの音楽を楽しむ晩年でした。

 

でもね、最近チョト引っ掛かるんですよねぇ。

小生の心の中に些細なトゲの様なものがあるんです。

 

「もっと良い音で聴いてもらっていた方が幸せが大きかったのではないか…」

と思うのです。本当に今となっては…なんですけどね。

で、そんな時、小生はポツリと呟きます。

 

「ゴメンな、親父。不甲斐なくてな。」

 

いまだにそんな風に思わせるほど、UHERの機器が奏でる音楽には地に足の着いた実体感とでもいうべき、骨太のしっかしとした手応えがありました。いつの日にか、遺影の前で、その骨太のモーツァルトを鳴らしてあげたいと思っています。

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